「竹内結子、三浦春馬、木村花、自殺の他虐的要素と病死としてのとらえ方」2020(令和2)年その2【連載:死の百年史1921-2020】第6回(宝泉薫)
連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)
一方、竹内の場合も高校時代までに、親の離婚と母の病死、父の再婚にともなう、継母とその子供たちとの同居という経験をしていた。デビューまもない十代後半には「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」(スポーツニッポン)と語っている。
こうした生い立ちは、独特の色気を生む反面、繊細すぎて本物の自信を持てない精神性につながりがちだ。ふたりとも、ある種の欠落を埋めようとして、仕事に取り組んだことは大きな成功ももたらしたのだろうが、十代のうちに心のなかの何かが死んでいたともいえる。
そのあたりについて、竹内は自ら文章にもしていた。18歳のとき、桜井亜美の小説「サーフ・ スプラッシュ」の解説を担当。彼女は自分のことを「連れ子という荷物」と呼び「その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった」と書いている。そんな強がりの魅力こそ、彼女の芝居を根幹で支えていたものだろう。しかし、自分を「荷物」にたとえてしまうような心性は、ともすれば、消えたい、いなくなりたいという衝動を生むのである。
そういう意味で、自殺は一種の「病死」でもある。人生のどこかで壊れかけた心がついに堪えられなくなり、死を選んでしまう、自殺から、そんな印象を抱かされることは珍しくない。
それでも竹内が、40歳まで生きて、二度の結婚で子供をふたり産むこともできたのは、希望を持ち続けたおかげだ。解説のなかで、18歳の彼女は「過去をなかったものにはできないけれど、いつまでも引きずっていたくはない」として、
「いつか絶対、全部吐き出せる人に出会えるはずだから。(略)もう少し生きてみなきゃ分からないけど、私はそう信じている」
と、綴った。
死を選ぶにあたって、彼女がそういう出会いをあきらめ、信じることをやめたわけではないだろう。ただ、希望を絶望が上回ってしまうことはあるし、その瞬間、人は生きていくことに堪えれらなくなるのかもしれない。
あるいは、生きづらさという病から自らを解放する自発的かつ合法的な安楽死、として自殺をとらえることもできそうだ。多くの人が関心を抱く理由には、それもあるのではないだろうか。
(宝泉薫 作家・芸能評論家)
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